20100201


100127_神々の演戯


前回紹介した2人のうち、今回はロバート・デ・ニーロにスポットを当ててみます。デ・ニーロと言えば、撮影前に役を徹底リサーチし、一分の隙もない完璧な役作りをする事で有名です。幾つかを紹介しましょう。

1974年 『ゴッド・ファーザーpartⅡ』
リサーチに18ヶ月をかけた。語学学校でシチリア語の基礎を固め、その後、テープレコーダーを持ってシチリアに渡り地元の住民から方言を学ぶ。前日の撮影の時と、眉毛の数が違うとメイク係に注文をつけるほど徹底した。アカデミー最優秀助演男優賞を授賞。


1976年 『タクシー・ドライバー』
2週間、タクシー運転手としてマンハッタン界隈を流す。体重を15キロ落とす。ニューヨーク批評家協会賞主演男優賞を受賞。アカデミー最優秀主演男優賞ノミネート。


1980年 『レイジング・ブル』
世界チャンピオンにもなった実在のボクサー、ジェイク・ラモッタを演じる為体を鍛え上げる。シルベスター・スタローンのトレーナーとラモッタ自身がコンサルタントとしてデ・ニーロについた。ニューヨークのジムで毎日半年間、スパーリングをこなし首まわりの筋肉を5センチも太くした。チャンピオンに輝いたシーンを撮り終えると撮影は4ヶ月中断され、その期間デ・ニーロは落ちぶれてぶくぶくに太った主人公を演じる為、イタリアへ飛びあらゆるレストランで食いに食いまくった。体重は68キロから97キロに増加。アカデミー最優秀主演男優賞受賞。このように↓

※同一人物です。



1987年 『アンタッチャブル』
実在のギャング、アル・カポネを演じる。打ち合わせの為デ・ニーロと初めて会ったプロデューサーは、彼がどう見てもアル・カポネには見えなかったので心配していた。カポネに関する資料は完璧に揃っているとスタッフが止めるのも聞かず、デ・ニーロはイタリアへと姿を消した。5週間後戻ってきたデ・ニーロは体重を14キロ増やし、ナポリ育ちの陽気で荒々しい男に変わっていた。本当はもっと太りたかったが直後に別の映画出演が決まっていたので太るわけにいかず、ボディスーツを着用した。だが、顔だけは太らせて撮影に挑んだ。理髪店で1週間毎日7時間掛けて、カポネの顔写真どおりに毛を抜いていった。アル・カポネに関する数百の資料を読んでいるうちに、カポネが身につけていたというシルクの下着の注文先を見つけ出したデ・ニーロは、早速その店へ注文、下着は画面に映らないのだが、撮影の間だけ身につけていた。デ・ニーロの登場シーンは6回、撮影期間は2週間だったが彼はリサーチに3ヶ月掛けた。このように↓

・・・この他にも、重病患者の役を演じる為に数ヶ月間映画の舞台となる病院に入院したり(1990年 『レナードの朝』)、凶悪犯を演じる為5,000ドルかけて歯を矯正、撮影後20,000ドルかけて元に戻したり(1991年 『ケープ・フィアー』)、彼の伝説は枚挙に暇がありません。何かもう、太平洋戦争の映画なのに(事務所の契約のせいで)坊主頭にも出来ない日本のアイドル俳優が阿呆らしく思えてきますね。

彼のこうした演技スタイルは、賛辞と尊敬(でもちょっと怖い…)の念を込めて、デ・ニーロ・アプローチと呼ばれました。世界中の役者に影響を与え、松田優作やマット・デイモン、ジョニー・デップなどが彼の演技メソッドを実践しました。

ところで、先日観たバラエティDVDに、お笑い芸人であるブラックマヨネーズ・小杉竜一さんが出演されていました。


↑左側の方が、小杉竜一さんです。

彼は番組内で、他の芸人に頭髪を指され「役作りや!ロバート・デ・ニーロや!」と弄られていました。





彼もまた、デ・ニーロ・アプローチの実践者だったのですね。



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★★★★☆
映画史に残る銃撃戦シーン&カッコいい男たち。ところで、デ・ニーロの出番はそんなに無いんですよね、実は。少ないカットでも手抜きせず全力で役作りする、プロフェッショナルです。


※このエントリーは、旧ウェブサイト内『丁野論』ページに掲載していた文章を、改訂・転載したものです。投稿の公開日は、過去に記事をアップした日に設定しております。

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