20080308

15年も昔のはなし。

僕は未だ11、2歳の子供だった。折角の天気の良い日曜日だったが、遊び相手も見つからず、ブラブラと町内を自転車で彷徨っていた。

古本屋で立ち読みをしたり、プラモデルショップで新作をチェックしたり、友達の家を訪ねては留守だと断られたり、会う訳でもない気になる女の子の家まで行ってみたり。まるで脈絡の無い、思春期の少年の意味の無いサイクリング。それさえも心地良い、気持ちの良い日曜日だった。

そしてある幹線道路上に、ふと、深緑色のもぞもぞと動く物体を発見、興味はそちらに向けられた。それは春先の気候によって活動を盛んにし始めたばかりの青虫であった。その道路は両側をキャベツ畑に挟まれていたのだが、片側の畑から這い出してきたソイツは、どうやら道路を横断し反対側の畑に移動する心算でいるようだった。

青虫の、必死にアスファルトを這い行くも遅々として進まないその歩みが、やけに滑稽だった。ちょっとした悪戯に、僕は青虫をヒョイと拾い上げ、元来た方向に向け直してやった。てっきり諦めるかと思いきや、青虫はもぞもぞと旋回し、再び向かいの畑を目指してせわしくも鈍間な行進を開始するのであった。

これは面白い。何故かは解らぬが、こいつはどうしても向かいの畑に行きたい理由があって、方向感覚もしっかりと定まっているようだ。今日はどうせする事も無いのだし、こいつが向かいに辿り着くのをぼんやりと眺めてみようか・・・。

ぽかぽかと照り付ける昼下がりの太陽。道路脇に自転車を立て掛ける。隣に腰を下ろし、その深緑色の幼虫の匍匐(ほふく)をぼんやりと眺める。全てがやさしい光に包まれていて、すっと眠りに入って行けそうな、のんびりとした時間が流れていた。

遠くの方からタイヤの滑る音が聞こえた。向こうから白い軽自動車がやって来る。僕は別に道に飛び出して、車を止めるなんて事は、しなかった。そのままではどうなるか分かっていたのに、しなかった。ただ自動車が、青虫の上を走り抜けて行くのを、同じ姿勢のままぼんやりと見ていた。

びちゃっ・・・という、生理的に嫌な音が、耳の奥で反響する。僕は慌てるでもなく、至って冷静に、ゆっくりと立ち上がり、そいつを、先程まで青虫だったものを、確認した。

家に帰る事にして、自転車にまたがり、走り出す。別に車を止めてまで助けるような命じゃなかった。それまでも虫を殺した事は何度もあった。ドライバーだって、気付いたとしても避けなかっただろう、猫や犬ならともかく。帰り道、そんな事を色々と考えた。けれどもう、気持ちの良い日差しは感じられなくなっていた。

家に帰り着き、TVゲームで盛り上がっている母と妹の顔を見て、突然怒りが込み上げて来た。と同時に、涙が溢れ出る。さぞかし変質な長男と思われたであろう。逃げるように自分の部屋に閉じこもり、再び色々と考えた。

大して車の通りも多くない道路だ。僕が青虫を拾い上げなければ、あの時間差が無ければ、車に出会わず向こう側まで辿り着けただろう。そんな気は無かった。そんな気は無かったけれども・・・。僕が殺した。僕が最小限に効果的に手を加え、交わる筈のなかった線と線が交わり、死ぬ筈のなかった生物が死んだ。

あの日を境に何かが変わった訳じゃない。人生が逆転するような劇的な事件じゃない。でもあの日の、青虫の姿、手に持った感触、潰れる音、走り去る自動車、ぽかぽかと気持ちの良い日差し、何もかもが、15年を経た今でも僕の心から離れない。



※このエントリーは、旧ウェブサイト内『丁野論』ページに掲載していた文章を、改訂・転載したものです。投稿の公開日は、過去に記事をアップした日に設定しております。

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