101209_幕末英雄列伝2
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101115_坂本龍馬
現在我々が思い描く坂本龍馬の人物像は、様々な小説やドラマの中で形成された、美化されたイメージであると言われます。
明治以降、多くの作家が彼の波乱万丈な生涯を創造し、我々読者もまた彼に願望を投影する事で、理想の英雄像が出来上がって来たのでしょう。そして龍馬のキャラクターを決定的にしたのが、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でした。
司馬の創った龍馬は、柔軟な発想と型破りな行動力を持ち、客観的な視点で時流を見る事の出来る人物として描かれていました。織田信長もそうですが、こういった要素に長けた人物というのは日本人のコンプレックスを解消してくれるからなのか、非常に好かれやすいようです。更に、残虐性が無く包容力に富む事が信長以上の人気をもたらし、龍馬は国民的ヒーローとして祭り上げられていきます。
しかし、我々の過剰な願望が反映された龍馬像は、徐々に一人歩きを始める事となります。龍馬の性格を表す幾つかのエピソードが、実は後世創作された物である事が分かっています。僕が、少年時代に感銘を受けたある逸話もまた、大正3年『坂本龍馬』が出典の創作であるそうです。
その逸話とは、龍馬が西郷隆盛らに新政府の役職人事案を見せた時のもので、『竜馬がゆく』には以下のように描写されています。
(竜馬の名がない)
西郷は、不審におもった。薩長連合から大政奉還にいたるまでの大仕事をやりとげた竜馬の名は、当然この「参議」の中で筆頭に位置すべきであろう。
-(中略)-
「坂本さァ」
と、西郷は猪首を竜馬にねじまげた。縁側にいた竜馬は、それに応じて西郷のほうへ上体をまげた。
「え?」
という顔を竜馬はしている。西郷はいった。
「この表を拝見すると、当然土州から出る尊兄の名が見あたらんが、どぎゃンしもしたかの」
「わしの名が?」
竜馬はいった。陸奥が竜馬の顔を観察すると、近視の目をひどくほそめている。意外なことをきくといった表情である。
「わしァ、出ませんぜ」
と、いきなりいった。
「あれは、きらいでな」
何が、と西郷が問いかけると、竜馬は、
「窮屈な役人がさ」
といった。
「窮屈な役人にならずに、お前さァは何バしなはる」
「左様さ」
竜馬はやおら身を起こした。このさきが、陸奥が終生わすれえぬせりふになった。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
陸奥がのちのちまで人に語ったところによると、このときの竜馬こそ、西郷より二枚も三枚も大人物のように思われた、という。
-司馬遼太郎 『竜馬がゆく(八)』 より抜粋-
子供心にそのスケールの大きさに感動、興奮したものです。僕が龍馬に心酔するようになるきっかけとなったシーンで、創作ではありますが、龍馬という人間をとてもよく表したエピソードではないでしょうか。
創作が混じっていようと、史実と多少の食い違いがあろうと、僕は、龍馬の物語に感銘を受け、同じ高知に生まれた事に誇りを持ちました。彼らが守ってくれた日本に生まれた事に、誇りを持ちました。
4年の歳月をかけて連載してきた幕末英雄列伝。31人目は、坂本龍馬でした。
これで、終わりにしたいと思います。
※このエントリーは、旧『ちょーの&のぞみのブログ』に掲載していた文章を、改訂・転載したものです。投稿の公開日は、過去に記事をアップした日に設定しております。
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