101209_幕末英雄列伝2
100222_土方歳三
さて今回は、土方歳三をご紹介します。
新撰組の副長を経て、大政奉還後は旧幕府側指揮官として戊辰戦争・函館戦争で図抜けた軍才を発揮します。敗戦を続ける旧幕府軍の中に在って、土方の指揮する隊だけは連勝を重ねるなど、まさに戦いの神とも言うべき天才的な戦略家でした。
新撰組副長時代の活躍として、1864年の池田屋事件時、冷静に機転を利かせ新撰組の名を一躍世に轟かせる事に一役買いました。
隊内部に対しては、規律を厳守させ、これを破った者は幹部といえども切腹を命じていたそうです。この為新撰組の死亡原因第一位は切腹であったと言われ、土方は鬼の副長として隊士から恐れられていたそうです。
一方で、色白で精悍な顔付き・長身が女性から非常にモテたようで、自分が貰った多数の恋文を故郷に送って自慢したそうです。
嫌な奴ですね。
100324_トーマス・ブレーク・グラバー
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トーマス・ブレーク・グラバーです。
武器商人として幕末期、倒幕派の志士達を援助し、龍馬の亀山社中とも何度となく取引をしました。維新後は三菱財閥の相談役として、高島炭鉱や麒麟麦酒の興業に尽力しました。
そんな、近代日本の礎を築いた彼ですが、実はフリーメイソンリーだという説があるようです。
新政府にフリーメイソンの支配を浸透させたかったグラバーが、計画の障害になりつつあった龍馬暗殺の黒幕であった、なんて陰謀論まで飛び出してるそうですが、いやはや何とも・・・。
100507_坂本乙女
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坂本龍馬の姉、坂本乙女。
当時の女性にしては珍しく大柄で、文武両道に秀でていたそうです。幼年期の龍馬に武術や和歌を仕込み、そのオネショ癖まで治してしまうほどのスパルタ教育を施した、というのは地元高知で有名な話です。
男社会の幕末にあっても、彼女の様に、英雄列伝に名を連ねるべき女性というものも少数ながら存在する訳です。
ところで坂本乙女の様な女性の事を、高知では『はちきん』と呼びます。
“気性が荒く男勝りの女性”、“明るく、はつらつとしたお転婆”という意味で、高知女性の気骨を表した言葉なんだとか・・・。(因みに語源については、ここには書けません。各自調べるか、直接ちょーのにお尋ねください。)
この『はちきん』は現代の高知女性にもしっかり受け継がれており、特に、僕の周囲には『はちきん』しかいないんじゃないかと帰省する度に訝しんでいます。
と、またこんな事を書くとこじゃんとがいにされるちや・・・。
100611_松平春嶽
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越前福井藩主、松平春嶽。
かつて幕末英雄列伝で紹介した、由利公正らの革新的な人材を登用し、藩政改革を成功させた名君です。幕政への参画に手腕を発揮した、幕末四賢侯の1人でもあります。
また、国全体の海防の徹底を訴えた坂本龍馬の意見に理解を示し、藩の年間予算に匹敵する大金5千両(諸説あり)を援助したエピソードも有名です。
最近になって知ったのですが、「明治」という年号の命名者、でもあるそうです。
100715_中岡慎太郎
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土佐藩士・中岡慎太郎。
龍馬の海援隊に対し陸援隊を結成、龍馬と共に薩長同盟を斡旋、そして、近江屋事件で死ぬ時もまた、龍馬と共にあったという・・・。双璧の如く、坂本龍馬と並び称される土佐の巨魁です。
それにしてもこの、当時としては珍しい親しげな笑顔!イメージ通り気さくで人徳の厚い、好漢であったようです。
因みに中岡の銅像は、台風中継で有名な室戸岬に立っています。
100924_田中光顕
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前回の幕末英雄列伝で紹介した、中岡慎太郎は、龍馬の海援隊と合わせて陸援隊という組織を結成した人です。そしてこの田中光顕は、その陸援隊で幹部などを務めました。
維新後は新政府の要職を歴任し、そして彼が宮内大臣に就任中に、坂本龍馬に関わる有名な出来事が起きます。その出来事とは・・・
日露戦争開戦直前の明治37年(1901年)2月6日、皇后・美子の夢枕に龍馬が立ち、「私が海軍軍人を守護いたします」と語り、皇后はこの人物を知らなかったが、宮内大臣田中光顕が、龍馬の写真を見せたところ、皇后は間違いなくこの人物だと語った。事の真偽のほどは定かではないが、この話が全国紙に掲載されたため、坂本龍馬の評判が全国に広まる事となった。(参照:フリー百科事典ウィキペディア『坂本龍馬』ページより)
・・・という話です。
実際に日本海海戦で日本軍は大勝し、維新後忘れられた存在だった坂本龍馬の知名度は、この出来事により一気に高まったとも言われています。
>幕末英雄列伝4につづく
※このエントリーは、旧『ちょーの&のぞみのブログ』に掲載していた文章を、改訂・転載したものです。投稿の公開日は、過去に記事をアップした日に設定しております。
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