20101209

ブログの方で、足掛け4年に渡って連載してきた幕末英雄列伝が、先日遂に最終回を迎えました。折角なので文章をこちらにまとめて、一気に読めるようにしたいと思います。


061111_西郷隆盛



先日上野に立ち寄る機があり、実に8年ぶりに上野公園に行ってみました。西郷隆盛像は変わらず佇んでおりました。

西郷の思想は「敬天愛人」。説明はやや難解になりますが、要は彼は天命に則し仁愛に生きた人物であった、という事です。武士にしては珍しい肥満体も愛嬌を感じさせます。

因みに先日遠征に行った鹿児島の加治屋町とは、この西郷隆盛の生地だそうです。後から知りました。


061116_大久保利通



西郷隆盛の親友にして引導を渡した張本人、大久保利通です。

前回の記事にも書いたように、先日遠征で赴いた鹿児島市加治屋町という場所は西郷隆盛出生の地だったそうですが、大久保も幼少時住んでいたそうです。

実は宿泊したホテルの周辺を歩いている時、写真の銅像を偶然発見したのでした。


061216_木戸孝允



西郷、大久保と共に維新の三傑に名を連ねる、木戸孝允です。旧姓桂小五郎。


特別過激だった長州藩の最高責任者というからにはよほど好戦的な人物と思いがちですが、実は徹底的に闘争を避け「逃げの小五郎」と揶揄されるような平和主義者だったようです。

そして

『純粋で律儀、地に足の着いた開明派巨頭であったため、政策や手法を巡っておよそ心外の権力闘争が繰り返され続ける明治政府の中にあっては、結局、最期まで、心身を害するほどの精神的苦悩が絶えなかった。西南戦争の半ば、出張中の京都で謎の脳病再発により死の病床に就き、もうろう状態の中でも西郷と明治政府双方の行く末を案じながら、息を引き取った。』

(出典:フリー百科事典ウィキペディア『木戸孝允』ページより)


・・・だそうです。

何となく良い人ですね。


080215_由利公正



旧姓、三岡八郎。

類稀なる金融センスを持ち、江戸末期に福井藩の財政を立て直し、維新時には太政官符を発行することで明治国家の礎を築いた人だそうです。

幕末、彼の才覚に目を付けた坂本龍馬の推挙により、新政府での「御用金穀取扱方」、今で言う大蔵大臣に就任しました。


080307_岩崎弥太郎



江戸末期、明治動乱期を通じて恐らくは最もサクセス・ストーリーを体現した人物でしょう。

土佐藩の下級武士(よりも低い身分)に生まれながらも、その商才を活かし、巨万の富を得、実業家として名を馳せます。坂本龍馬・後藤象二郎から受け継いだ亀山社中・後の海援隊を母体として発展させ、最終的に三菱財閥を創業しました。


080326_清河八郎



稀代の策士・清河八郎。

彼の建言により幕府は浪士組を結成しました。将軍警護の為上洛した浪士組に対し、清河は、「我らの目的は将軍警護ではなく、攘夷の魁となるためである。」とかねてよりの策某を宣言し浪士たちに血判を求めたのです。

何という奇策!倒幕の為の組織を幕府自身に作らせたのです!

結局は、彼の思い通りに事は運びませんでした。清河攘夷論に異を唱えた者達こそ、近藤勇、土方歳三、芹沢鴨らであり、後の新撰組へ発展、倒幕派志士達を震え上がらせる存在となった事は、歴史の皮肉と言えるでしょう。


>幕末英雄列伝2につづく



※このエントリーは、旧『ちょーの&のぞみのブログ』に掲載していた文章を、改訂・転載したものです。投稿の公開日は、過去に記事をアップした日に設定しております。

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