20101209

101209_幕末英雄列伝

091012_高杉晋作



志士の中でも特に人気の高い、高杉晋作です。

奇兵隊を結成するなどの、奇策を大胆に実行する策略家。英国公使館を焼き打ちするといった過激なテロリスト。一方で、詩才に富み、「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」の有名な都々逸(どどいつ)を作ったとされます。(木戸孝允作説も有り)

権力に立ち向かうその姿勢は反逆のシャウトにも見え、早世の共通点も手伝って、尾崎豊や松田優作のような強烈なカリスマを感じます。

辞世の句は「おもしろき こともなき世を おもしろく」


091014_武市瑞山



土佐勤王党の盟主、武市瑞山。通称は武市半平太です。

坂本竜馬ら土佐出身の志士が京で尊王攘夷に活躍する事が出来たのも、武市が土佐藩内の方針をまとめ、その礎を気付いたからと言っても過言ではありません。

その人格は高潔にして誠実、武士道仁義を重んじる人物だったとされ、「人望は西郷、政治は大久保、木戸(桂)に匹敵する人材」と語り継がれています。

それほどの逸材が全国的に無名なのは、世の中が倒幕に動き出すよりもかなり早い段階で、処刑されてしまったからです。彼に切腹を命じた張本人である山内容堂は、維新後、彼を殺したことを何度も悔いていたといいます。あるときなど、酔いつぶれて「半平太ゆるせ、半平太ゆるせ」とうわ言を言っていたとか・・・。

その最期は、かつて誰も成し得なかった三文字の切腹を成し遂げ、武士の気概を見せたと伝えられています。


061016_徳川慶喜



今回は倒幕派志士ではなく、最後の将軍、徳川慶喜です。しかしこの写真を見る限りでは、お殿様よりは文学者とでもいうような精悍な面持をしています。実際は「権現さまの再来」とその英名を称えられるほどの人物であったようです。

大政奉還や江戸城無血開城といった政策は「逃げ腰」とも揶揄されますが、これらにより無血革命に近い状態で政権移譲でき、近代日本の独立性が守られたという評価もあります。

彼もまた、徳川政権という小異を捨てて、日本の未来という大同に就いた、国士の1人だったのではないでしょうか。


091204_陸奥宗光



陸奥宗光。

「カミソリ大臣」の異名と、明治時代の不平等条約撤廃の功績は有名ですが、幕末期に坂本竜馬の知遇を得、終始行動を共にしたことはあまり知られていません。

その才覚たるや、坂本をして「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」と言わしめるほどだったそうです。

陸奥もまた坂本に心酔し、竜馬が新官制擬定書を西郷隆盛に提示した際のやりとりに、非常な感銘を受け、後世ことあるごとに回想を語ったそうです。

ただし、これは後世の創作だそうですが・・・。


091207_小松帯刀



薩摩藩家老、小松帯刀(たてわき)。

他藩の志士とも親しくし、坂本龍馬の亀山社中(後の海援隊)設立に援助をしたり、長州の井上馨と伊藤博文を長崎の薩摩藩邸にかくまってグラバーと引き合わせ、その後、井上を伴って鹿児島へ行き薩長同盟の交渉を行った、という人物です。

多くの“歴史が動いた瞬間”に関与・尽力した、幕末の重要人物。龍馬の新政府人事構想でも、西郷、大久保、桂らを抑えて筆頭に挙げられていたという・・・。

因みに、日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬だと言われていますが、龍馬より10年早く小松帯刀は新婚旅行として、(義父同行で)霧島の栄之尾温泉に滞在した記録があるそうです。


100217_勝海舟



徳川幕府における名臣にして、日本海軍の生みの親、江戸城無血開城の立役者など、様々な顔を持つ英傑、勝海舟。
坂本龍馬の師匠としても有名です。

その龍馬は、当初敵である幕臣・勝を斬る為に自宅を訪れたそうです。斬り殺す前に、どんな人物か話を聞いてやろう、という訳です。ところが、勝の演説を聞くうちに諭された龍馬は、彼に弟子入りをしてしまいます。
有名なこのエピソードには異説ありますが、勝を殺しに来て説得され、逆に弟子になってしまった人間が沢山いるのは事実なんだとか。

非常にトリッキーで魅力的な人物ですが、彼の最期の言葉がまた秀逸です。

「コレデオシマイ」


>幕末英雄列伝3につづく



※このエントリーは、旧『ちょーの&のぞみのブログ』に掲載していた文章を、改訂・転載したものです。投稿の公開日は、過去に記事をアップした日に設定しております。

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